誰のために日々料理をしていたかわかった話
夫が入院してからというもの、毎日の3食準備がとにかく億劫で仕方ないのです。
家族のため、自分のため、健康のため、そんな風に理由をつけてはきたけれど、どうしてこんなにやる気が出ないのだろう?と自分でも不思議に思っていました。
そこでふと気づいたのです。
どうやら私は「夫のために」料理をしていたらしい、と。
正確には、夫が「美味しいね」と言ってくれる言葉や、食卓を囲んだときのちょっとした会話や反応に支えられていたみたい。
子どものためではなかったなんて、自分でも驚き。
食育だの体つくりだのと宣っていた割に、夫が家にいないだけでこんなにもやる気が削がれるだなんて思いもよらなかったのです。
…正直ショックでした。
子どもは正直で、何を出しても「ふーん」と食べるし、たとえメニューがシンプルでも体はぐんぐん育っていく。
排出も快調で、必要な栄養さえ摂っていればそうそう困ることはないだろう、と思います。
唯一気になるのは「味覚」。
子どもの頃に覚えた味は、そのまま将来の味覚に影響していくと思っているので、なるべく粗食で、薄味で、素材そのものを「美味しい」と思えるような食卓にしたい。そんな思いは変わりません。
一方で、夫は初老に差しかかり、私自身も年齢を重ねている。
だから日々のご飯は「未来の健康を守るため」にもなっていたのだなと改めて感じます。
料理を通して夫の体を思い、そして自分の体を思いやっていた。
とはいえ、夫が不在の今はやはり張り合いがないのが本音。
子どもは反応が薄いけれど、私が「これ美味しいね!」としつこく言えば、しぶしぶ(?)「うん、おいしい」と返してくれる優しい子です。
ありがたい^^
だから今は「出来合いのものより手作りをギリギリ続けているだけでも、私えらい!」と自分を褒めることにしました。
もちろん時にはお惣菜を買ってラクもしますよ。無理をしないことも健康のための一歩ですから。
夫のことは病院にお任せして、私が弱るわけにはいきません。
家族を支えるには、まず自分の体調を整えること。
料理はその一部であって全部ではない。
だから今は“頑張りすぎない”をテーマにしています。
ちなみに、今日の夕飯はこんな感じ。
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タコの刺身
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しまホッケの塩焼き
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茗荷とささみの和え物
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ミニトマト
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かぼちゃの煮物
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焼き芋
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味噌汁
胃にやさしく、ほっとできる献立にしました。派手さはないけれど、体にすっと入っていく感じがします。
夫がいない食卓はやっぱり少し寂しいけれど、その分子どもと会話を楽しみ、季節のものを取り入れながら、今の暮らしに合わせた台所仕事をしていきたい。
「誰のために料理をしているのか」──その答えは、夫であり、子どもでもあり、結局は「私自身」でもあるのかもしれません。
台所に立つ理由をもう一度見直す時間をくれた夫の入院。
早く元気になって戻ってきてほしいけれど、この気づきもまた大切にしたいと思っています。
ではまた。お読みいただきありがとうございました。



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